主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ
マタイの福音書3章3節
私たちの教会の駐車場は県道に面しています、その道路幅は最近綺麗な歩道ができて広くなりました。以前はガソリンスタンドがこの道路に面していましたが、道幅が広くなるということで立ち退かれ、その半分ほどを教会が購入しました。ですから教会の裏側が県道に面しているというちょっと不自然な姿なわけです。
この道路は行幸道路と呼ばれています。行幸とは天皇もしくはそれに準じる皇族が外出される時に使う敬語です。この行幸道路は戦後まもなく、天皇陛下がお通りになるというので、急遽造成されたそうです。戦後のことでもあり、相当無理をして資金調達と労働者を集めたといわれていますが、行幸は中止となり、ついに一度も天皇がこの道路を使うことはありませんでした。しかし、そのまま今日まで行幸道路という呼称は残ってきました。
天皇が通られるらしい、それは一大事、これは何が何でも道を備えなければ、曲がった道路をまっすぐにして、回りの小さな民家には立ち退いてもらわにゃ…
実は、2000年前、イエス様が来られるので、その道備えをせよ、と大声で叫んだ預言者の言葉が四つの福音書のすべてに記されています。イザヤ書の預言です。
「主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ」
天皇どころではありません。神さまがお通りになるのです。しかし、人々は、この預言者バプテスマのヨハネの言葉を本気で受け止めようとはしませんでした。
でもイエス様は、預言どおり確かにおいでくださり、罪の赦しと永遠の命の約束を与えて、天に帰られました。これが十字架と復活です。
しかも、イエス様を信じるとき、イエス様ご自身が、道となってくださり、私たちを導いてくださると約束してくださったのです。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネの福音書十四章六節)
あなたの心にまっすぐに通された本物の行幸道路、今日もイエス様がお通りになられていますか。毎日、その確信と感謝で過ごすことができますように…。
主事 神津喜代子 (シャローム2004年10月号)

