もはや人間の欲望のためにではなく、神のみこころのために
ぺテロの手紙第一 4章2節
ラスベガスの街をたずねたときのことです。とてもきらびやかな街並みや、誰もが一攫千金を夢見てカジノに夢中になる様子をながめていると、人間の持っている欲望の力強さがひしひしと伝わってきました。
ニュースで凶悪な事件が報道される度に、犯罪者が持っていた醜い欲望の現実に驚かされます。人間が欲望に突き動かされた結果、人を殺したり、物を盗んだり、と異常な行動をとってしまうのです。
聖書には、「欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生む」(ヤコブ1章15節)と書かれています。私たちのうちにある欲望は、魂を支配し、むしばんで、滅びをもたらすほどの力があるというのです。しかし、同時に、クリスチャンは、もはやこの欲望に支配されることがない、とも書かれています。(ガラテヤ5章24節)イエス・キリストの十字架と復活を信じることによって、すでに新しい歩みが始まっているからです。
最近イエスさまを信じた方のお話しがとても印象に残っています。自分にはやりたくてしかたがないことがたくさんある、というのです。神さまのことももっと良く知りたい、できることをして人の役に立ちたい、聖書をもっと読みたい、人のために祈りたい・・・どれもクリスチャンになる前には考えもしなかったことだそうです。
一般によく言われるように、クリスチャンは禁欲的なのでしょうか。いいえ、むしろ欲張りなのかもしれません。罪を生み出す欲望に支配されず、かえって、神さまと共に歩むすばらしい人生を追い求めているのがクリスチャンです。
あなたは今日、何を求めて生きていこうとされていますか?
牧師 中澤信幸 (シャローム2002年)

