このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。
マタイの福音書18章5節
子どもの成長は生活環境によっても大きく左右されるものですが、ドロシー・ノルトという方がこんな詩を書いています。
子どもが励ましの中で育ったら、信頼にこたえるようになるだろう。
子どもが賛美の中で育ったら、恵みを感じるようになるだろう。
子どもが交わりに受け入れられて育ったら、この世に与えられた愛を見つけだすに違いない。(抜粋)
もう3年目になるだろうか。その子との関わりはー 大人げないと言われそうだが、関わり方がどうも見えない、と感じ苦手意識をもっていた。
教えても素直には、受け止めてくれない(と、少なくとも自分は感じていた) むしろこちらがイヤだ・不愉快だと思うことをしでかしてくれる。
そういえばこんなことがあった。
ある日のこと。ドヤドヤと部屋に入ってきた数人の子どもたちが「トイレから入ったよ。鍵空いてないんだもの・・・・」と言う。聞いたこちらの方がびっくり。「えっ!?」玄関の鍵が内側からかけられていたとは・・・・ 犯人探しなどするわけもないが、なんとなく・・・ こんな一連の出来事から発している1つのメッセージは、それとなくわかっていた。
時間の積み重ねの中で、少しずつお互いの距離が短くなってきたころ「今日ねえ・・・」といって心のうちを私に少しずつ見せてくれた。
聞きながら(何をしてあげられるというのだろ?どうやってみても私が親になれるわけもない。結局は、子どもにとっては親・家族なんだから・・・)とある種の無力さ・限界を痛感する。
その反面こうも思う。小さなチャンネルかもしれないが、このチャンネルがあるとないとでは、大きな違いであるのもきっと事実。
家族が機能しなくなっている、家庭に課題のある子どもが多くなっています、とは教育現場の先生方の声です。そんな今、教会がもつこのすばらしい人の環境。まさに神の家族としてのこの環境を提供してあげたい、と思う子どもがあなたの身近にいないでしょうか。
伝道師 石井美恵子 (シャローム2006年2月号)

