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目に見えない方を見るようにして

信仰によって、目に見えない方を見るようにして、 忍び通したからです。
ヘブル人への手紙十一章二七節

ほんとうの信仰をもって人生を送りたい、あなたはそう願っておられますか。私も同じです。では、本当の信仰とはどのようなものなのでしょうか。

 冒頭の聖句は、モーセがエジプトのパロ王の前に出たときの状況を描いています。そのときモーセは、「目に見えない方を見るようにして」歩んだといわれています。

「目に見えない方」とは、むろん「神」のことです。どうしてこのような表現が使われているのでしょうか。それは、モーセの召命体験と関係があります。出エジプト記三章をご覧ください。

モーセは、萌えても燃え尽きない柴を見ます。不思議な思いでそこに近づいたとき、「あなたの立っている場所は聖なる地である」と、告げられます。そうです。神は見えなかったのですが、モーセが立っているその場所に、神はおられる、というのです。

この姿を現さない神は、さらにモーセに語り続けます。
神は、イスラエルの民の苦しみを見、叫びを聞いている。先祖たちに約束されたように、民をエジプトからカナンの地に連れ戻す。そのためにモーセを立て、パロ王と交渉させる、と。

最初モーセは、その使命の重大さにおののき、しり込みします。しかし、神の励ましを受けて、その召命に立ち上がります。彼は、パロ王のもとに行き、「目にみえない方を見るようにして」王と交渉したのです。

「目にみえない方を見るようにして歩む」とは、神のお姿を心の中にイメージしながら歩む、そんなものではないのです。

むしろ、神が立てられている自分に対するご計画を知り、その計画を実現するため神が主導権をもって、すべてにおいて働いておられることを信じ、さらに神が自分を通して計画を成就しておられることを味わっていく、そのような歩みなのです。

あなたは、今日、目に見えない方を見るようにして歩んでいますか。


牧師 中沢啓介 (シャローム96年8月号)

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(2006年12月15日 更新)


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